与えられている自転車時間
今週のお題「感謝したいこと」
昼夜問わず時間を見つけて趣味をしているという、己の考えは間違っているのだと、いつも年末で思い返す。
家事
沢山の様々な家の仕事を、一言にしてしまうのは軽すぎるかもしれないが、ここでは『家事』とする。
家族に『家事』の大半をして貰っているから、アタシは自転車遊びができる。
いくつかの趣味があるのだが、その時間は自分で作っているのではなく、結果的に与えられているのだ。
我が家は家事を誰がどこまでやるかという明確な取り決めはない。
ある程度は口にして頼まれることがあるが、大半は任せている。
任せているとはあまりにも自分勝手な解釈で、実際はやらせていると言うべきか。
それは強制的ではないにせよ、誰もやらないから、やらざるを得ない環境にしてしまっている。
仕事をしているから家事はあまりやってはいないという意見もあろう。
それは仕事=収入のことなのだろうが、そもそも『収入』と『家事』は全く別のベクトルでの家庭貢献。
家庭貢献という大掴みの細分化を同軸に並べて評価することは出来ない。
家族貢献度は人によって捉え方がさまざま。
だから家庭によってその評価は大きく変わるのだろうが、それでいいのだ。
他人が踏み込むことのできないサンクチュアリ。
そして家族の貢献度評価(貢献度ではない)に大きな歪みが出来ると分裂する。
その歪みを埋めるため、お互いに称えあったり、ご褒美だったりがあるのだろう。
家族
現在の結婚の在り方を問題視する声が大きくなってきた。
夫婦であることは法律で定められ、それは一対の男女でなければならない。
そんな古臭い考え方は、複雑化し多様化した現代には全くそぐわない。
家族は取り決めという枠の中に納まるものではない。
まず、『家族』は概念であり、ルールではない。
家族での取り決めというのはガンジガラメでは成立しない、という都合のいい解釈をしておく。
家族は阿吽の呼吸で成り立つものなのかもしれない。
支えあい、頼りあい、共存していく。
忌憚ない意見を交わしたり、性の相談をしたりとつながりの深い存在。
だから血が繋がっていなくても、法律で繋がってなくとも家族たりえる。
家庭の愛犬は家族でしょうが!そうでしょうが!
おっと情緒が不安定になりました。
感謝
頑張るためにたった一つ拘っていることがある。
『大切な人(家族、友人、自分含む)のために!』
☝
これ個人的に一番頑張れないダメなパターン。
『大切な人が楽しく過ごせることが自分の幸せである!』
☝
こうでないと頑張れない。
全ては自分のためということが大切。
他人のために頑張るなどという、でけぇ器の持ち主は、自分をどうにかできてるんでしょう。
自分をどーにか出来ないオイラに、自分以外のために頑張るモチベーションはないし、おこがましい。
やっていることは同じで、考え方の違いといえばそれまでだが、持続できるかどうかは俺にとってとても大切。
この俺様だって家族に感謝している。
それを口にすると「言えば済むと思うな」と言われた。
感謝はしているが、言葉以外にどう表現するかは考えあぐねているところだ。
感謝感謝詐欺と思われようが、今のところは言葉にしていこうと思っている。
思いながら自転車に乗るぅ~。
チリン♪チリン♪
以上でーす。
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